すえひろおばちゃんのはいからケーキ(文旦)
すえひろおばちゃんのはいからケーキとは
はいからケーキは、おばあちゃんが作ってくれた、昔なつかしい、幼い頃のおやつの思い出を再現した、でっかい蒸しケーキ・蒸しパンです。
直径約14センチ、大人の手のひら程のサイズ。
画像では伝わりにくい、大きなパッケージにきっと驚かれるはずです。
ボリューム感もあり、ほんのり甘く素朴な味は、意外とクセになる味で、あっという間に食べてしまいます。
おやつにも食事にもなり、色々なシーンにマッチします。
すえひろ屋のこだわり
- 四国で育てられた新鮮な卵をたっぷりと使っています。
- 1つ1つ丁寧に手作業で蒸し上げていますので、フワフワの食感を味わうことができます。また、表面はパリっとしており、中の食感との違いが、食べる楽しみになります。
- 一つ一つ丁寧に手作業で袋詰めしています。大事な所は機械に頼らず、人間の目で確認をしています。
蒸しパンの歴史
蒸しパンの伝来
日本に饅頭が伝来したのは、室町時代とされています。
一般的に中国では餡を詰めた蒸しパンを包子、中身なしを饅頭(マントウ)と呼びます。
しかし、日本に伝わった後は、中身入りながら「饅頭」と呼び習わされるようになりました。
安土桃山時代には南蛮人によって、西洋式のパンの作り方が伝えられました。
パンが食べられなくなる
江戸時代に入ると鎖国政策やキリスト教の禁止などでパン製造はすたれ、長崎の出島で暮らすオランダ人のために細々と作られるのみとなりました。
この頃の日本人がパンを食べた記録は残っていません。
当時の日本人の口には、パン独特の酵母菌による発酵臭が合わなかったことや、聖体としてキリスト教の儀式と密着していたパンは、キリスト教を厭う世相から製造が忌避されたといわれています。
江戸時代中期に出版された料理献立の中に、パンの作り方を載せていたものがありますが、生地の発酵に甘酒を使った物でした。
蒸しパンの誕生
鎖国が解かれた後の明治時代にパンの製法が確立され、饅頭に近いパンは一掃さました。
一方、膨張剤となる重曹の入手が手軽になり、これを使って発酵の手間を省き、日本に古くからある調理器「蒸篭」にかけて作ることが出来る蒸しパンは、子供のおやつや米にかわる代用食としても食されるようになりました。
大正時代の米騒動の頃に玄米パンと呼ばれる玄米の蒸しパンが誕生しました。
見た目は餡を抜いた饅頭のようなもので、あまり美味しいとはいえず、当時の不景気を象徴するものでした。
また、玄米パンを自転車で商売していた地域も大正~昭和一桁台(一部では昭和20年代)の頃にかけて存在していました。
蒸しパンの普及
第二次世界大戦後はGHQの支給された小麦粉を使用し、ベーキングパウダーと混ぜて捏ねたものを電熱器または文化鍋で調理し、代用食にしたり、砂糖が貴重だったため、さつま芋や栗を混ぜておやつとしても食されていました。
昭和30年代には、ロバ(実際には木曽馬を使用)に荷台を引かせて販売したロバのパン屋が一世を風靡しました。
1970年代以降に普及したスーパーマーケットや、1980年代以降に普及したコンビニエンスストアでは、商品の回転の速さに対応できるため、日持ちのしない蒸しパンも載せられるようになり、大手製パン業者も蒸しパンを製造販売するようになったのです。
文旦(ぶんたん)とは
文旦の効能
疲労回復、血液サラサラ、苦味成分にもうれしい効能!
文旦は疲労回復を促したり、血液をサラサラにする働きがあると言われています。
含有される成分では、ビタミンCのほか、クエン酸、苦味成分であるナリンギンやリモノイドといったものがあります。
ビタミンCはいわゆる抗酸化物質です。
また、美肌に役立つとされ、免疫力亢進の働きも認められます。
クエン酸は疲労物質を代謝する作用があることから、疲労回復に有用とされています。
ナリンギンは免疫亢進の他、アレルギーや食欲を抑制する働き、血中脂肪酸の分解作用などがあると考えられています。
リモノイドは、血栓の発生を抑えたり、癌を抑制する作用があるとされています。
7つの味が楽しめます
味は、はちみつ・よもぎ・黒糖・しょうが・竹炭・文旦、柚子の全7種類。
お気に召した味をお選び下さい。
お客様の声
惣菜部から一言(担当者:藤田)
1つ1つ丁寧に、大事に、購入されたお客様が、笑顔になれるよう商品を作っています。
購入されたお客様の意見を参考に、これからもよりよい商品を作っていきますので、お気軽にご意見をください。
また、新商品もたくさん開発していますので、ご期待ください。商品が出来次第ご案内いたします。
すえひろ屋が責任を持ってお届けいたします
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